東京オルタナ寫真部ではユージン?スミス研究會を開催予定だったが、ユージン?スミスとフォトジャーナリズムについて客観的評価をするには時期尚早だと判斷し、開催を延期した。関心ある方のために參考になる資料を挙げておく。

ユージン?スミス研究會

この研究會はユージン?スミスを通じて、20世紀のフォトジャーナリズムとその時代を探ることを當初の目的としていた。そのための3つの主要なトピックを想定していた。

雑誌『LIFE』

20世紀のフォトジャーナリズムを作った寫真グラフ誌。ユージン?スミスのフォトエッセイがそのスタイルにどう寄與したのかを検討する。また、マグナム?フォトなどのフォトエージェンシーと『LIFE』との関係から、當時の寫真家を取り巻く環境を考察する。

ジャズ?ロフト

表舞臺から隠遁したユージンがこもった倉庫ビル。キャリアと家族を捨てた彼はなぜアンダーグラウンド?ジャズシーンに埋沒したのか。1950年代後半のNYジャズシーン、そしてロフトに代表されるサブカルチャーの分析。

『MINAMATA』

近代産業が人々の暮らしを破壊した公害病。なぜユージンは、遠い日本で起きた事件に身を投じたのか。水俁病が現代に投げかける意味と共に、ユージンの最大の仕事を読み解く。

 

ユージン?スミス関連映畫

映畫『LIFE』

日本語タイトル:「ディーン、君がいた瞬間」

駆け出しの寫真家デニス?ストックと新人俳優ジェームズ?ディーンの短期間の交流を描いた映畫『LIFE』。この時期の寫真家が生きた世界が垣間見られ、興味深い。マグナム?フォト(フォトエージェンシー)や雑誌『LIFE』との関係、カメラ機材、撮影方法、取材方法、問題の絶えないプライベート…。そして手の屆かない有名寫真家ユージン?スミスの個展の案內を苦々しく手に取るシーン!若い無名寫真家の嫉妬や焦燥感、そして當時のユージン?スミスの存在感が描かれており、映畫『ジャズ?ロフト』の前日譚的な作品として見ることができる。

1955年、アメリカ。マグナム?フォトに所屬する、野心溢れる若手寫真家デニス?ストックはもっと世界を驚嘆させる寫真を撮らなければと焦っていた。無名の新人俳優ジェームズ?ディーンとパーティーで出會ったストックは、彼がスターになることを確信し、LIFE誌に掲載するための密著撮影を持ち掛ける。

 

映畫『ジャズ?ロフト』

『ライフ』編集部と決裂したユージン?スミスは、家族も捨てて、音楽家や畫家たちが不法に住んでいるニューヨークの倉庫ビルに移る。そこにはピアノやドラムがセットされ、セロニアス?モンクらが出入りして連日連夜ジャムセッションを繰り広げた。アンディ?ウォーホルの「ザ?ファクトリー」を先取りするような拠點となったニューヨーク 6番街 821番地。ユージン?スミスは建物中に配線し廊下にまでマイクをセットし、オープンリールテープ4,000時間分を録音し、400,000枚以上の寫真を撮影した。

このテープと寫真はライターのサム?スティーブンソンによって発見され"The Jazz Loft Project"という本にまとめられて出版される。

映畫『ジャズ?ロフト』はこの本を元にしたドキュメンタリー。複雑で問題の多いユージン?スミスの肉聲(文字通りの意味)が聞ける。

The Jazz Loft Project: Photographs and Tapes of W. Eugene Smith from 821 Sixth Avenue, 1957-1965

  

映畫『ミナマタ MINAMATA』

水俁病に取材したユージン?スミスの寫真集『MINAMATA』を原作とした映畫。NYロフト時代から始まり水俁病取材のユージン?スミスを描く。しかしこの映畫の內容は事実ではない。水俁病とユージン?スミスの両方に対して誤解を招く內容があり、かなり問題のある作品。ユージン?スミス関連の參照資料として扱うには注意が必要。

映畫『MINAMATA ミナマタ』

以下はこの映畫のストーリーを構成する中心的なエピソードだが、いずれも実話ではない。

  • ユージン?スミスを訪ねたアイリーンが水俁病の取材を依頼する
  • 加害企業チッソが公害の原因事実を知りながら隠蔽していたことをユージンが暴露する
  • チッソがユージンの買収を試みるが拒否される
  • チッソ協力者によってユージンの暗室が放火され、ネガが失われる
  • ユージンの寫真記事がチッソ上層部を動かして住民補償が実現した

チッソが、水俁病の原因が自社の工場排水であることを知っていながら隠蔽していたことは事実だが、それをつきとめ糾弾したのは、長い年月をかけて現地で原因究明に取り組んだ原田正純をはじめとする醫師たちである。ユージン?スミスはこの件について関係していない。しかし映畫『ミナマタ』では、チッソに忍び込んだユージン?スミスとアイリーンたちが隠されていた資料を発見し、事実を公にしたことになっている。これは明らかな事実の歪曲であり、他人の努力と成果を盜み、すげ替える行為にほかならない。

「その場にいたはず」のアイリーン?スミス本人は、この映畫のストーリーが事実でないことを認めながら、映畫で水俁病が多くの人に知られるのは良いことだとコメントしている。彼女はこの映畫に関するインタビューでしばしば、客観性を手放すことの積極的な意義を語っている。これは「事実を偏見にする(let truth be the prejudice)」というユージン?スミスの奇妙なスローガンを受け継いだものだが、事実を放棄したフォトジャーナリズムは陰謀論歴史修正主義と區別できないものになるはずだ。

この映畫が示唆しようとする「真実」については、映畫制作サイドの事実に対するこういった姿勢を踏まえた評価が必要になる。

ひとまず、この映畫のプロットは事実を描くのではなく「真実のために巨悪と闘った偉人ユージン?スミス」という実在しないキャラクターを創作することを目的にしていると指摘できる。そのため、この映畫を資料として扱う場合は「ユージン?スミス」という虛像が成立し再生産する過程を示す歴史資料としてのみ扱うことができる。

映畫ライター冨永由紀による記事
大義があれば虛実を気にするのは無意味なのか。感動と複雑な感情が入り混じる『MINAMATA―ミナマタ―』

Newsweek記者 大橋希による記事

 

雑誌『LIFE』

LIFE 1936年に創刊されたアメリカの寫真グラフ誌。レイアウトされた組寫真でニュースをストーリーとして伝える「フォトエッセイ」の手法を生み出した。ユージン?スミスは1943年から『LIFE』誌に寫真を提供していたが編集部と衝突し1954年に辭職する。『LIFE』誌は1960年代からテレビの普及に押されて縮小し、2007年に休刊。

Google Booksによるアーカイブ

1936年の創刊號から1972年発行分までGoogle Booksでアーカイブされている。

創刊號から1972年までの全號

ユージン?スミスの寫真が掲載されている號

『LIFE』創刊號

 

MAGNUM Photos マグナム?フォト

MAGNUM PHOTOS 1947年設立の寫真家による協同組合。寫真家たちが自ら計畫した取材活動などを支援するフォトエージェンシー。ユージン?スミスは『LIFE』と決裂した後の1955年にマグナム?フォトに參加する。ピッツバーグ市を寫真で記録するプロジェクトを任されるが、ここでもユージンは極めて獨善的に仕事をしたため、マグナム?フォトとの関係は悪化する。

W. Eugene Smith: Master of the Photo Essay

W. Eugene Smith’s Warning to the World

 

水俁病 參考リンク

水俁病は1930年代に始まっており1968年に原因が正式認定されるまで、すでに長期にわたる被害と闘いがあった。水俁の住民の苦しみと現代文明の行き詰まりを黙示録的に描いた文學作品、石牟禮道子の『苦海浄土』が出版されたのは1968年。醫師、原田正純が原因特定までの長い闘いの記録を出版したのは1972年。

ユージン?スミスが水俁で取材に1971年から3年間をかけたとはいえ、それはすでに加害と被害の関係が確定しており、市民が企業を糾弾するという構図ができあがった後の3年間だった。ユージン?スミスが水俁の取材をLIFE誌に掲載したことでこの公害事件はさらに注目を集めることになった。しかしある見方をすると、ユージン?スミスは有名雑誌にコネクションがある寫真家で、ストーリーになりそうな対象を見つけて取材したに過ぎない。彼は寫真を撮りそれを組み合わせて、ショッキングだがわかりやすく消費できるストーリーを作ったが、それ以上のことをしたわけではない。

原田正純『水俁病』
水俁病の原因究明に取り組んだ醫師の手記。地を這うような調査と、現代醫學への厳しい批判と反省が胸を打つ。

公害病の中でも大規模で最も悲慘なものの一つ、水俁病。苦痛に絶叫しながら亡くなった人々や胎児性患者のことは世界的にも知られているが、有機水銀によるこの環境破壊の恐るべき全貌は、いまだに探りつくされてはいない。長年患者を診察してその実態の解明にとりくんできた一醫學者の體験と反省は、貴重な教訓に満ちている。

石牟禮道子『苦海浄土』
歴史に類を見ない規模の公害を人類が直面する課題として提示した世界的文學作品。

NHK 100分de名著

工場廃水の水銀が引き起こした文明の病?水俁病。この地に育った著者は、患者とその家族の苦しみを自らのものとして、壯絶かつ清冽(せいれつ)な記録を綴った。本作は、世に出て30數年を経たいまなお、極限狀況にあっても輝きを失わない人間の尊厳を訴えてやまない。末永く読み継がれるべきの新裝版。

ユージン?スミス寫真集『MINAMATA』

自ら體験した「真実」を追い求め、ドキュメンタリー寫真を蕓術の域にまで高めた伝説の寫真家W. ユージン?スミス。寫真集『MINAMATA』は、寫真史上最も偉大なフォト?ジャーナリストの一人の代表作であり、最後の仕事として知られます。 高度経済成長期の日本に起きた四大公害事件の一つである水俁病を、現地に3年以上暮らし、當時の妻アイリーンとともに命を懸けて取材。長らく絶版となっていた、水俁の真実に迫る不朽のドキュメントがいまここに蘇ります。

寫真「入浴する智子」(Wikipedia)

水俁病(Wikipedia)

 

フォトジャーナリストの評価とは:広河隆一の事例

広河隆一は日本の代表的な「人権派」フォトジャーナリストだ。その彼が深刻な性犯罪加害者でありパワハラ加害者であったことが告発されたことは記憶されている方もいるだろう。

セクシャルハラスメントの告発に対して広河は當初極めてエゴイスティックな言い逃れを行った。

寫真の仕事(作品)と作家個人の評価は分けるべきだという見方はあるだろう。しかし広河隆一が、人権問題について見識の深いジャーナリストとして広範な媒體で長年仕事をしてきたことは事実だ。「人権」は広河の大きなブランドだった。しかし実際には彼は深刻な人権侵害の加害者だった。

広河の事件は、日本の寫真界に深く後戻りできない衝撃を與えたと思われたが、実際はそうではなかった。広河が設立した団體「日本フォトジャーナリズム協會」は道義的精算を検討する様子もなく存続している。

ユージン?スミスについて話を戻すと、彼は明らかに人格破綻の傾向があり家族生活を捨てたことでも知られている。非常にエゴイスティックな性格であったことは事実だ。當然ながら、この研究會ではユージンの人物像と彼の仕事とは分けて分析するつもりだった。しかし現在もユージン?スミス當人を高邁な人格者であるかのように評価する風潮が定著しており、多數派の見解として圧力も帯びている(『ミナマタ』の映畫評を書いたライターの冨永由紀は、大義を盾にした相手への批判は呑み込まなくてはならないのか、と書いている)。

ユージン?スミスや、他のフォトジャーナリストを客観的に評価するには、まずその前にフォトジャーナリズムとは何なのかを冷靜に評価し直す必要がある。マスメディアを通じた影響力に過ぎないものを見誤り、寫真家に対して信じられないような過大評価をしていないか、そこから改めて検証する必要があるだろう。